想い出は兵舎の跡に・・・

東村山一中

私の通っていた中学校は、木造校舎で兵舎の跡でした。
相当古い記憶なので曖昧ですが、たぶんこんな感じだったと思います。北側の校舎は兵舎だと思います。
昭和22年、六三制の学制改革に伴い、元陸軍通信兵学校校舎一棟を大蔵省から借り受けて、東村山町立東村山中学校として設立を認可されたそうです。

この陸軍通信兵学校という聞きなれない言葉がとても気になって、少し調べてみました。
たぶん個人だと思いますが、詳しい情報を残してくれた人がいました。

10代の少年たちが大勢戦死したらしいです。
兵舎の跡で勉強していたのに、当時は「兵舎だった」ということぐらいしか知りませんでした。
残念です。まさか年端もいかない少年たちが通信の勉強していたとは・・・
人手(兵隊)が足りなくなって、10代の若者たちまで戦地へ行かされる羽目になっていたことも
知りませんでした。かなりショックです。

戦争を知らない世代の政治家たちが、昔の悲惨な道へ後戻りをしやしないかと、それが心配です。
いつだって弱者が先に犠牲になるのですから・・・

【37. 2.22  第三校舎を火災によって焼失する。】

この 第三校舎の真裏が住居でした。
火事でガラスが割れたり、熱かったり、右往左往したのを覚えています。

【校歌が変わっていた】

うわっ!ショック!
校舎も鉄筋コンクリートになっているし、校歌まで変わってしまっている。
それだけ、歳をとったってことかねぇ・・・

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です