長崎に原爆が落とされた日

夢を見ていた。
宇宙船に乗っている夢だ。
その中で突然、「長崎に原爆が落とされた時間です。黙とうをささげましょう」という声がスピーカーから流れてきた。
私を含めた乗組員は黙とうをしていた。そしてそこで目が覚めた。

長崎の原爆記念館を訪れたことが2度ほどある。凄惨な写真が展示されていた。
小学生のころ、原爆の悲惨な写真は先生から見せられていた。
「戦争反対」の声を、教員たちが高らかにあげていた戦後だった。

次のような文章をWebで見つけた(映画の解説より引用)

------引用—————————-
1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下された。この時、蔵満さん一家は、父・良雄さんが海軍の見張り所へ出向き、母・モタエさんは疎開の手続きで出 掛け、4人の子どもたちが留守番をしていた。爆心地からわずか100メートルの所にあった自宅は跡形もなく、子供たちは骨一つ残らなかった。あまりの ショックで心神喪失状態に陥ったモタエさん。だがある時、一人の少女から長女よう子ちゃんのゆかりの市松人形を手渡されたことから、生きる力を取り戻して いく。以来、夫婦は毎年1体ずつ人形を集めながら、子供たちへ被爆の語り部となる。
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実は、かつて蔵満さんご夫妻と同じ集合住宅に住んでいたことがある。
当時、良雄さんはすでに80歳を過ぎていたが、被爆の悲惨を訴える講演活動をしていた。
その会場への送り迎えもしたことがある。
市松人形とともに、4人のお子さんたちの話を何度も聞いた。
モタエさんの心神喪失のお話も・・・
一度に4人もの子供を失うって、想像を絶する苦しみだったろう。

人類はこんな大きな犠牲を払ってさえなお、戦争をやめようとしない。
いや、むしろそちらに向かっているような気がしてならない。
どうして自らを傷つけるような道に向かうのか、理解ができないでいる。

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